ロシアだより
飛行機を降りた瞬間、頭の奥までキーンと響く、凍てつく寒さが懐かしい。
氷は溶けはじめ、氷柱は雫をポタポタと落とす。
街では柔らかくなった雪を、除雪車がゴーっと大きな音を立ててかき集め始める。
もうすぐロシアに春がやってくる。
「冬よ、さようなら!」とみんなが浮き足立ち始める中、私は約1か月の滞在を終え、ロシアを出国しようとしている。
今回ロシアに来たきっかけは、私の中に2つある。
1つ目は、今年のマニフェスト『何事も諦めない』を実行するため。
まだ気持ちの若い私は”いつか”という言葉をよく使ってしまう。「いつか物書きになってそれで食べていきたい」「いつか世界旅行に出かけて、世界のあらゆることをこの目で見たい」
けれども、その”いつか”は永遠に来なくなる可能性は十二分にある。私の一生っていつか終わるんだってちゃんと理解できたのはここ最近の話である。
”いつか”って言葉を使い続けていたら、並べる夢は一生叶わない。だから、やりたいことを先延ばしにするのやめよう。
”いつか”って思ったことは、”いま”始めよう。
こんなことを考えているとき、2つ目のきっかけ、米原万理さんの『マイナス50℃の世界』というロシア滞在記に出会った。
2018年もマイナス68℃を記録して話題となった、ロシア・サハ共和国、ヤクート。上下真っ白に凍ったまつげの写真を見た方も多いのではないだろうか?
マイナス50℃ともなると、私たちのいろんな常識が変わって来る。
魚は釣り上げて10秒で凍るらしい。洗濯物は乾かすのではなく、水分を凍らせてはらう。地面が凍ることによって、冬は家が傾く。なんとも面白く興味深い世界だ。
読了後、「ロシア、いつか行ってみたいな」と思った。
あれ、”いつか”ということは、これってつまり”いま”だ!
「決断」という一番大きな山を超えたら、そこからは早いもの。航空券を取って、ビザを用意して、荷物をパッキングして。出発の時間はすぐにやって来た。
***
ロシアと聞いてどんなイメージを抱くだろう。
戦争、革命、スパイ、暗殺、核兵器。暗い影を隠さないおそロシア?
ロシア人は笑わない?ウォッカばっかり煽ってる?
正直、ふんわりとした想像がつかないまま、真夏のメルボルンから飛行機に乗り込んだ。
オーストラリアから日本まで、乗り継ぎを経て約21時間。帰国というよりはロシアへのトランジット。そして成田からウラジオストックまで約4時間。
ワクワクと少しのドキドキを胸に、ついに、白の世界へ飛び立った。
「これ、落ちるんじゃない?」と本気で心配になるような運転に、ロシアの洗礼を受けつつ、無事到着。
降りた瞬間、ロシアの寒さを舐めていた自分に後悔する。寒さで頭が割れそうになる。無防備なほっぺたが焼けるように痛い。
気温はマイナス25℃。これがロシアの寒さだ。
ロシアのもの全てが新鮮に映る。
見慣れないキリル文字。聞き慣れないロシア語。雪でドロドロの古い車たち。ボコボコの道路。毛皮のコート。
ここはもう日本じゃない。私が今まで踏んで来た土地でもない。正真正銘、異国だ。
空港から乗り込んだタクシーの運転手はウクライナ人だった。
もちろんロシア語は話すが英語は全く分からない。練習してきたロシア語で挨拶する。
ズドラーストビーチェ。ミニャザブートタクミ。ヤーイポンカ。(こんにちは。私はたくみです。日本人です。)
本当に片言だけれど、通じた。うれしい。
自己紹介程度しかできないので、あとはグーグル翻訳に頼っておしゃべりする。たのしい。たのしい。
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ロシアでは冬、全てのものが凍る。
海や川、湖はもちろん。道路も階段もツルツルと危ない。窓も凍る。露店で売ってる魚も凍る。
ロシアは確かに寒い。
どんなに防寒していても、何時間も外にはいられない。たぶん、人が住むのには快適な土地じゃないんだ。
けれど、そんな凍てつく寒さがあるからこそ際立つ、美しさがここにはある。
ロシア人たちは「ロシアは夏に来るべき、冬は寒すぎるよ」と言った。
けれど、私はこの寒さが知りたかったの。この景色を見たかったの。
***
シベリア鉄道にも乗った。
ウラジオストックからモスクワまで約9000kmの鉄道の旅。旅人の憧れだ。
飛行機に乗っても別にいいのだけれど、今回はロシアの大きさを感じたくて。
飛行機に乗っていると、全てのことがピュンと飛び去って、気付いたら新しい環境にポイっとほうり込まれてしまう感じがする。体だけ移動して、心が追いついていない感じ。
列車は、ゆっくりゆっくり進んでいく。後ろを振り返る時間はたっぷりあるし、新天地へワクワクとした心を温める時間も。
鉄道の旅で、何よりも楽しいのが、人との出会い。何日も同じ車内で過ごすから、自然とみんな友達になる。
ロシア人は笑わないだなんて、誰が言ったのだろう?
ニコニコしていると、ロシアでは、バカか悪いことを企んでいると思われるよ。そう聞いたから、無表情の練習までしてきたのに。
ロシア人はよく笑う。もちろん全員ではないけれども、和かでオープンな人が多い。
冬は観光界の閑散期だからか、外国人客は少ない。1人で旅行しているのなんて、私ぐらいだった。
目があったら、おきまりのズドラーストビーチェ。ミニャーザブートタクミ。最初はぎこちなかったロシア語も、言えば言うほど口に馴染んでいく。
どこから来たの?何歳?1人?ロシアはどうだい?お菓子食べるかい?
一緒にお茶して、ご飯を食べて、お互いの家族を見せ合いっこしたりして。
英語は通じないことの方が圧倒的に多かった。けれど、みんなそんなの気にしない。言葉が分からなくたってどんどんロシア語で喋りかけてくる。
きっとロシア人はお喋りなんだろう。そして、底なしに優しい。
***
旅はここから始まった。
ウラジオストックからイルクーツクへ。シベリア鉄道にて3日間。
道中、ひたすら続く白の世界に圧倒された。
イルクーツクからモスクワまで4日間…のところが、2日目で電車を飛び降りた。その間を飛ばし見しちゃうことが勿体無くて。
旅は自由だから、行き先はいつでも変えていいのだ。
カザン(タタールスタン)
西に進むほど、少しずつ大きな町が増えていく。インフラもどんどん整ってゆく。
ウラジオストックを出て約2週間。やっと、モスクワに着いた。達成感。
モスクワ
また鉄道を乗り継ぎ、サンクトペテルブルグへ。
自分で決めて、やって来た。
たったそれだけのことだけれど、生きてることに納得できるような、大きな安堵感がこの旅で生まれた。
今この光景に出会えてよかった、”いつか”にしなくてよかった、生きててよかった、そんな気持ちを抱かせてくれる国がロシアだった。
***
夢は、意外と呆気なく叶ってしまう。そして、叶った後、旅も人生も続いてゆく。
また訪れよう 、心からそう思う。
出会ったみんなに「また来たよ!」と会いに来よう。
もっとロシア語を勉強して、ロシアのことも知って、今度は奥深くまでロシアを旅しよう。
この旅は次の旅の始まりなのだ。
これも”いつか”じゃなくてまたすぐに。