思考の海で泳ぐ

読書日記や日々の考えたことを文字として産み落としています。

誰かの役に立ちたい欲

自己啓発書なんかを読んでいると、人間は人から認められたい、承認欲求というものがあるらしい。

良いことをして褒められたい、誰かに必要とされたいなど、色々な欲求が絡んでいるようだが、そんな欲の中に”誰かの役に立ちたい欲”というものがある。

私は別に悪人であるわけではないので、世界みんなが困ればいいさ、みたいなチープな悪役のような思想は一度も持ったことはない。

しかし同時に、自分の利益を顧みず、これが誰かの役に立てれば光栄だ、とも思ったことがなかった。

 

幼い頃、将来の夢は?とお決まりの質問をされた。怪我や病気で困っている人を助けたいからお医者さん、看護師になりたい。弁護士になって困っている良い人を助けたい、なんて隣の子に言われたらちょっぴり引いている自分がいた。

お金持ちになりたい、サッカー選手になりたい、スチュワーデスになりたい。その先に何がしたいかは分からないが、なんとなく自分の好きなもの、やりたいことに従って生きている方が子供ながらに全うな人間なように感じていた。

歳をとるにつれて、社会というものがわかってくると、引くわーということは少なくなったが、やはり自分の身を呈して、困っている人を救おうとしている人たちを見ると、すごいなー、なんだか違う人間だなと感じていた。

 

自分のために生きて何が悪い。

人生は限られている。その限られた時間を自分のために精一杯使おう。そう思って、心の赴くままに好きな事ばかりやってきた。

正直に言うと、自分の行く先が分からなく、むしろ他の人のために!と使命感の溢れてやることが決まっている人を羨やんだことも何度かある。

それでも、自分は自分だ、私は自由なんだ、とワクワクすることを探して、選んできた。

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後、数ヶ月で24歳。

ハタチを過ぎたら人生早いよーと先行く人たちに忠告されてきたように、毎日が加速した。

ちょっと前に成人式を迎えたような気がしてたら、毎日が飛ぶように過ぎて、知らぬ間にもう”大人”になっていた。

 

将来の夢は?と聞かれたら間違いなく”幸せになりたい”と私は答える。

もっともっと幸せになりたい。貪欲で自分のために生きていることには変わりはない。

 

けれど最近、その”幸せ”の中に他の人の幸せが含まれても良いんじゃないかな?という気がしてきた。

他者の役に立ちたい、という大きな気持ちではまだないが、自分のできる範囲で、誰かが私の存在によって助かった、ちょっと幸せになった、そんなふうに思ってもらえたらなんだか良いなと思い始めた。

 

きっかけは正直わからない。今まで自分が色んなところで助けてもらったから、今度は助ける側になってみたい。今までは後ろ盾のない不安定な自由だったけれど、経験と自信がついた今の私は自由かつ心に少し余裕を持てるようになった。

もちろん、たくさんの良い人たちに出会って、自分もこんな風になってみたいなとも思った。良い人は総じてキラキラしていて温かい。

人の為に自分の大事な時間を使うなんて想像できなかったけれども、やってみたい、そんな自分もありかな、と小さな理由がひっついて自分の気持ちを動かしているように感じる。

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もちろん、こんな自由人が経済的に安定しているわけではないので、全てをボランティアで何かをすることはできない。もちろん新しいことを始めるならビジネスとして、自分の利益プラスαで何か誰かに助けになれば良いと考えてる。

何か大きなことを打ち上げたいな、と意気込んでいたら、相方の吉田から良いことを聞いた。

誰かの為、なんて大げさに考えなくても、そこにあるだけで誰かの為になっていることはたくさんある。

たとえば、自分がカフェで過ごす時間が好きだから、自分好みのカフェを開いてみた。消費者でいられなくなって、自分で展開してみたということはよくあるビジネスのスタートだと思う。そのカフェがいつしか穏やかな時間を過ごす、誰かの憩いの場所になっていた。誰かに、あー、ここに良いカフェがあってよかったわ、なんて思ってもらえたら、意図せずともその誰かの役に立っている。

自分の為に始めたことが廻り回って誰かの役に立っちゃってること、それが例え「ありがとう」とわざわざ言葉で表されることでなくても、あるはずだ。まだ、大きなことはできなくとも、そういった自分ベースの人助けが生まれれば良いな。

転じて、自分のアウトプット、あわよくば気の合う友達探しの為に始めたこのブログも何かの形で誰かの為になれば良いなー、とこっそりと願う。