マオリの土地問題とエセジャーナリスト
1. 旅を仕事に
「好きなことをして生きていきたい」
ここ最近、胸を張ってそう言えるようになった。
好きなことってなんだろうと考えたら「旅」というキーワードに行き当たった。せっかく生きてるんだから、ここにある世界を全部見てみたい。そう思うのは私だけではないだろう。
「じゃあ、旅を仕事にしよう」
けれど「旅を仕事に」なんて正直ありふれている。旅ブロガー、インスタグラマー、ユーチューバー?どれも聞き飽きた。
「私は生きている間に何をしたいのか?」「自分が楽しかったらそれでいいのか?」そう考えたとき、「死んだ後に残るものが欲しい」そう思い至った。
だったら、残すべき何かを探してそれをドキュメントすればいいんじゃない?この時代、この環境で生きている私にしか見えないものはたくさんある。私たちが過去を学べるのはそれを後世に伝えれるカタチとして残してくれた人がいるからだ。今度は私がそれをするのはどうだろう?
残す価値のある内容を取りに行く。私の「旅を仕事に」はもしかしたら”ジャーナリスト”というカテゴリーが一番近いんじゃないだろうか?
そんなことを考えながら、ニュージーランドへ飛んだ。
2. ニュージーランドへ
ニュージーランド北島に位置するタウポは澄み切った青い湖から望む美しいトンガリロ山脈が有名な観光・リゾート地だ。
私はここから車で40分ほど離れたトゥランギという町のファームでお世話になることにした。
ウーフという形でマオリの血を引くホストが運営するファームをお手伝いしながら、地元のマオリコミュニティーに関わることができるという。
実は以前ニュージーランドに住んでいたことがあって、ニュージーランドは全体的にクリーンで感じが良いという印象を持っていた。人は優しいし、移民には寛容、政治はオープン、自然観光に力を入れているから環境保護もかなり手厚い。
いま住んでいるオーストラリアも似たような国の成り立ちではあるのだが、ニュージーランドほどクリーンなイメージを持った事はない。特にオーストラリアとアボリジニの関係は決して良いものとは言えない。
ニュージーランドでは原住民のマオリに対するリスペクトが強く、ニュージーランドの国民性にもマオリ文化がかなり影響していると思っていた。
以前、アボリジニと入植者について熱心に調べていた時期があった事もあり、今回の旅では「ニュージーランドとマオリの関係性」にスポットライトを当ててそれを記事にしようと思っていた。
ニュージーランドはマオリであろうが白人であろうが、どんなバックグラウンドを持っていてもニュージーランドに住んでいるならみんなキウイ(ニュージーランド人)だという意識が強く、人種問題についてはかなりの先進国だ。
しかしニュージーランドとて完璧ではないはず。
今回はマオリの人にお世話になるということなので、「マオリ側から見たニュージーランド」というものを探ってみることにした。
*
ホストのリサはマオリの血を引く白人系の女性で、ニコニコとした良いおばちゃんというのが第一印象。見た目はマオリっぽくないのだけれど、口元のタトゥーを筆頭にマオリ文化をすごく大事にしているように感じた。
リサ自身は子供の頃は自分がマオリだという意識はなく、普通のニュージーランド人として暮らしてきたという。大人になるにつれマオリとしてのアイデンティティーを感じるようになり、15年ほど前に自分の部族の土地に移住し、先祖代々の土地をファームとして運営し始めたそうだ。
ファームを営む傍ら、地元のマオリ学校にガーデニングや給食のお手伝いをしに行っている。
私の到着した3日後がマオリのお正月であるマタリキに当たるらしく、リサはその準備に大忙しだった。
3. リサのはなし
翌日、地元のマオリ学校でマタリキに向けたイベントがあるということでリサに同行することにした。マタリキ前に全校生徒が一人一人スピーチをするという。
ファームから学校まで車で40分、リサとゆっくり話しをすることができた。
タウポ湖をぐるっと取り囲むカタチで引かれた道路を走る。車からの眺めは絶景だった。
「キレイねー!」と感動する私。
すると突然、リサはワントーン低い声で話し始めた。
「たくみ、あれを見なさい。あれは全部パケハの持ち物よ。」
湖畔の別荘と思わしき住宅を指して言う。
「これもこれも全部パケハのもの。見て、どの家にも車がないでしょう?これは別荘で1年に1回くらいしか使わないのよ。」とリサは続ける。
パケハ(ペケハとも表記する)とはマオリ語で白人を指し、この場の意味では特に白人の入植者を指している。
「この土地は全て私たち部族のものだったの。それが今や全てパケハのものになってしまった。」
「ここに入植してくるパケハはマオリのことなんて還り見ようとしない。ただ良い眺めで良い家があればお金を払って終わりよ。」
「マオリは土地を買い返すお金がないから元の土地(眺めのいい湖畔)には住めない。この地帯は私たち部族のものとされていてもね。」
私が旅で知りたかったことの核心に触れるリサ。
「ここはマオリのためのニュージーランドじゃない。私たちはまだ奪われ続けているのよ。」
この会話をきっかけに、私はマオリとニュージーランドの関係が決して良いものではないことを知り始めた。
4. マオリから見たニュージーランド
例えば、トンガリロ地域では植林が盛んなのだけれど、リサ曰く、その植林に使われている土地はマオリのものなのにマオリは土地の租借代をほとんど受け取ることができていないという。一応土地についての使用契約はあるらしいのだが、正常に働いていないらしい。
私たちが走っている眺めの良い道を作るために元々住んでいたマオリは土地を取り上げられ、湖から道路を挟んで反対側の土地へ強制移住させられたそう。その際にお墓なども強制移動させられ、西欧風の墓地を充てがわれたという。
また、マオリの平均収入はニュージーランドの中でも低いらしい。この国の先住民としてマオリに賠償金の支払いや土地の返還が行われているならこんなことにはならないとリサは話す。
学校ではマタリキのスピーチがあり私も見学させてもらった。
この学校はこの地域のマオリのための学校で赤ちゃんから高校生ぐらいまでの子供達が同じ校舎で学んでいる。授業は全てマオリ語で行われ、内容もマオリ文化に関することが多く取り上げられる。
スピーチもマオリ語で行われるので私には全く意味がわからないのだけれど、パケハという言葉が多用されていることに気がついた。
こそっとリサに何の話をしているのか聞いてみたところ、「マオリとしての自分を誇らしく思う」、「これからのマオリ社会を引っ張っていかなければ」といった内容を話しているそう。
その後もリサやマオリの人との会話から「ペケハ」「Maori's right(マオリの権利)」「unfair(不平等)」「decolonization(植民地支配からの解放)」といった言葉を頻繁に耳にした。
5. ファームでの生活
マタリキがおわりひとつ区切りがついて落ち着いたのか、リサはほとんどファームに立ち寄らなくなった。
初日からそうだったのだが、リサは今ファームに住んでおらず、他にウーファーもいないのでファームには私1人で生活している状態だった。これからしばらくは父親の住む実家でゆっくり過ごすらしい。
ファームではパーマカルチャーという、(平たくいうと人間だけではなく地球全体でハッピーになれる生き方を選ぼうというもの)を採用していて、ファーム内の建物はリサイクルの材料を使っていたり、何も無駄にしないようにと、人糞は肥料に、食べ残しは豚の餌に、燃やせるものは暖炉にとエコな生活を中心に営まれていた。もともと地球に優しいライフスタイルというのに興味があったから、今回の滞在はパーマカルチャーも一緒に学べて一石二鳥だった。
事前に勉強したことから、パーマカルチャーについては多少の不便が生まれるのは仕方ないと理解はしていたのだけれど、現実は想像以上に酷かった。
例えば、ファームではパーマカルチャーといって人間にも地球にも優しいライフスタイルを採用していて、電気はすべてソーラーパネル。これはエコで良いんだけれど、ニュージーランドの雨が続く冬には十分な設備ではなく、電気は思うように使えず、夜はランプを灯す。
またお湯は太陽光で温めるんだけれど、これも温まらないから水シャワーしかでなくて、寒い冬空の下もはや修行状態。
もしリサも同じ環境で生活しているなら「そうか、エコってこういうことなのか」と納得できる。しかしリサは「これがエコな生活よ」と言いながら、「私は温かいシャワーやスピーディーなWifiといった文明のある生活が必要なの」と実家に戻っていった。
食事は自分で食料庫から勝手に材料を取って料理して良いスタイルだったのだけれど、あるのは豆の缶詰とパスタだけ。
リサがファームに滞在しないということで、私は飼っている豚と犬に餌をやってくれれば後は好きに過ごしていいという。
ウーフは働く対価として食事と寝床を提供するというものなので、餌やりへの対価とすれば妥当なのかもしれないけれど、いや豆とパスタって。。食材を買いに行くにしても足がないので正直かなり困った。
滞在はまだ1週間残っている。
私は滞在費を浮かしたくてここに滞在しているわけではないから「仕事が少なくってラッキー」と単純に喜ぶわけにはいかなかった。むしろ、この何もないファームで放置されてしまったら、本当に何をしに来たのかわからない。
豚の餌を運びにやってくるリサにマオリでもパーマカルチャーでもいいから何か関わりたいというと、「じゃあ何か考えてくるわ」と言ってくれるのだけれど、結局豚と犬の餌やりしか仕事はもらえなかった。
途中からこのファームに滞在しながらホームスクーリングをしているというニュージーランド人家族が旅行から帰ってきて(私が来たタイミングで旅行に出発していたらしい)、暇な私は子供達の先生兼あそび相手というポジションになった。この家族を通していろいろな学びはあったものの、マオリやパーマカルチャーといったものには深く関わることはこれ以降なかった。
リサはマタリキというビックイベントで自分の次のステップが見えたのか、ファームを訪れる際に「今後はファーム内をマオリ語オンリーにしたい」「もっと畑を耕してマオリのコミュニティーガーデンを作るのよ」という話をしてくれるのだけれど、そのために何か始めましょうという話になるわけではなく、ただただ思いついたアイディアを一方的に聞かされるだけ。そして話が土地やマオリのことに流れると「パケハめ」とまた同じ話を愚痴るように話すのだった。
「今日は何食べた?」「いつここを出るんだっけ?」と一応気にかけてくれるのだけれど、会話中も自分の頭の中でいろんなアイディアが出てきて忙しいのか、聞いてきたのにもかかわらず会話の最後は「whatever(まあ、なんでもいいわ)」と投げやりに終わらせ、豚の餌やりよろしくねと言って帰ってしまう。
蔑ろにされていることを不満に思いながらも、度胸のない私は何も言えず、結局10日間の滞在はこんな感じで終わってしまった。
6. 体験を形にする
帰国後、私は悩みに悩みまくった。
この体験をどう切り取ればいいのだろう?
私は何を伝えたいんだろう?
構成を練っては書き出し、練っては書き出し、を1ヶ月続けてきたけれども納得のいくものにはたどり着けなかった。
あまりにも書けないものだから、これは私の中に何か根本的な揺れがあるのではないか。そう考えた中に1つ見えたものがあった。
今回の滞在は私が思い描くジャーナリズム的な何かをカタチにしたくて行ったものだった。
もちろんニュージーランドやマオリについて知りたいという純粋な気持ちもあったけれども、旅の主な目的は「ジャーナリストとして私はこんな仕事ができるんですよ」と人に見せられるものを作ることだったのは間違いない。
幸いにも記事作りのネタを掴むことはできた。リサのように自分の意見をオープンに語ってくれる人と出会えたことはものすごくラッキーだ。これでやりたかったジャーナリズムができるじゃないか!
ここまで素材が揃った。けれども迷う。
それはなぜか?
『私はマオリの友達になれなかった』
これが大きく関係していると思う。
7. エセジャーナリスト
『何かを伝える』ということは「誰かのために何かしたい」という気持ちが発端になるものだと思う。
例えば、
シリアの悲惨な状態を変えたいから、現地状況を写真や文章、動画を介して世界に伝える。
LGBTについて理解を広めてみんなが生きやすい世界を作りたいから、今起こっていることや1個人の声でも拾って世界に届ける。
これが正当なジャーナリズムであると私は思う。
私は旅を通して出会ったものを他の人にシェアしたい。
「こんなすごいものが世界にはあるんだよ」「私たちの知らない世界ではこんなことが起こっているんだよ」と伝えたいと思っていた。
『知ることから世界は変わる』
人は知らないとそれを選べない。知らないと新しい世界への扉は開かない。そう私は信じているから、伝える側になろうと思った。
けれども、今回のように伝えるために出会いに行くというのは順番が逆だった。
今ならわかる。私はエセジャーナリストだったんだ。
そこにいる人たちのために何かしたいだとか、それについて自分が何かを世界に伝えたいだとか、そういった純粋な動機をすっ飛ばして、ネタがあるから取りに行く、まるで作品を作るかのように問題に関わる。そんな自己中心的な考えを持って相手の問題を消費しようとしていたのだ。
もちろん、始め方を間違えてしまっても、関わり合いの中で軌道修正することはできた。リサやマオリの人と仲良くなって「この人たちのために何かしたい」と思えれば万々歳だ。けれども、私は蔑ろにされることに腹を立てながらも、自分がドキュメントすることばかりに気を取られて、相手に歩み寄ろうとする努力が足りなかった。
今回はリサが忙しかったとか、そもそもリサは私に興味がなかったとか、友達になるハードルは高かったかもしれない。けれども、もっとリサと関係を深めるためにできることはあったと思う。
遠慮せずにもっと突っ込んだ質問をしたり、家について我慢するんじゃなくてこうしてほしいと頼んだり、いろいろ働きかけることはできたはずだ。リサ以外にも他のマオリの人に遠慮せずにもっと深く話し込めばよかったなと今なら思う。
チャンスははいくらでもあったけれど、私はそれを逃してしまったんだ。
こうして、せっかく知ることができたのに、根本的に「なんのために書くんだ?」というところで揺らいだ。
リサたちの話に納得していない自分がどこかにいて「マオリはかわいそうだ」と言い切ることはできないし、友達でもない人の証言を裏付けるために膨大な英語やマオリ語の資料を読み漁るほどの熱量もなくなった。むしろマオリはかわいそうかもしれないが、パケハ、パケハと排他的に移住者を扱うことにも和解ができない一因があるんじゃないかとさえ思ってしまう。
7. 人に見せるための自分をやめる
「旅」というのは「自分が世界を見たいから」という個人完結的な理由が核にあるから、正直、旅すること自体をお金にすることは難しい。
だから、旅をしながらお金を稼ぐ人は自分の持つスキルと旅に掛け合わせたり、旅をしながらでもできる別の職業についていたり、ブログで稼いだり、有名になって旅先での仕事をゲットしたりと、みんな色々工夫している。
私にはお金になるような特別なスキルもないから「なんとか有名にならなきゃ!」とブログやツイッターを始めた。けれど、同じようなことを考えている人はごまんといて、その中で差別化をはかって頭ひとつ飛び出なきゃ有名にはなれない。
じゃあ、旅をしない人にもウケるように各国の問題をつついてみるのはどうか。そう思いついた私は「みんなに届けるために、現地に赴いてレポートするんだ!」と言う大義名分を担ぎ始めた(残すものを書きたいという気持ちもあったけれど)。
そして、その気持ちがエスカレートしていき、いつしか自分のための旅が誰かのための旅になった。旅していない間も「私は普通の旅人じゃなくてもっと知的で価値があるように見せなきゃ」と誰かに見せるための自分を意識するようになってしまった。
まるでインスタ映えを狙う女子のように、自分の見せたい世界観に合うようにだけSNS上で自分を切り取る。これがやりたいわけじゃないのに、みんなにウケるから、と旅をこじらせていった。
自分をブランディングするというのは有名になるステップとしては間違っていないのかもしれないけれど、頑張って自分を見せているからどんどん疲れてくる。「これを言ったらどんなふうに思われるんだろう?」と人の目を気にして、投稿するのが億劫になる。つまらない。更新頻度がどんどん落ちていく。負のスパイラルに陥っていった。
今回のニュージーランドでの経験から自分が如何にねじれていたのかがよくわかった。
「もうジャーナリストを気取ることも、見せるための自分を切り取ることもやめよう」
仕事を作らなきゃ、旅をマネタイズしなきゃっていう思いはあるんだけれど、やっぱり「自分がたのしむこと」が一番大切だ。見たいものを見て、伝えたいと思ったことを伝えよう。旅は自分のためにするもの。ぐるぐる回ってやっと素直に言えるようになった。
*
次の旅はチベットにいく。
行くことを決めたときはまだ「なんのために旅をするんだ」という答えは出ていなくて、『中国のチベット民族に対する弾圧』『チベット民族の今』をドキュメントしに行くなんて、これまた偉そうなことを言っていた。
けれど今はこう考える。
「私が行きたいから、チベットに行くんだ」
今まで知らなかった新しい世界を見てみたい。その地で生きる人々に会いたい。友達になりたい。だから行くんだ。チベット問題なんてその後でいい。まずは出会いたいんだ。
お金になるとかならないとか、そんなのわからないけれど、自分を偽らない。
これが「好きなことをして生きていく」のファーストステップなんじゃないだろうか?