思考の海で泳ぐ

読書日記や日々の考えたことを文字として産み落としています。

8月の面白かった本・7冊


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8月に読んで面白かった本をまとめました。 

 

1、『愛するということ』エーリッヒ・フロム著

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

愛についての哲学書。「愛」というのは生きてる人の多くが関心のあるテーマだと思うのだけれど、「愛」というのは定義するのがなかなか難しい。

本書でフロムは「愛は技術である」と説いている。技術である以上、それは英会話やプログラミングのような"スキル"と同じように、その仕組み(理論)を学んで、それを自分で再現できるように練習を重ねれば、「愛すること」は体得できると話を進める。

つまり、愛は人間の初期設定から備わっているわけでなく、育むもの、そして今からでも育めるもの。私は愛が分からなすぎて「どこかで落としちゃったのかな?」と悩んでいたので、まさに目から鱗だった。

フロムが説く「愛とは何か」の理論をぜひシェアしたいと思ったのだけど、書き出したら軽く2000文字を超えたので今回は諦めた。それぐらい得るものが多かった。別の機会にぜひ1つの記事として再挑戦したい。

ちなみに、『自分の人生に大きな影響を与えた本』が今のところ3冊*1あるのだけど、『愛するということ』は栄えある4冊目にランクインした。他の3冊同様、自分に染み込ませるように何度も開いて読み込むだろう。

 

 2、『天才はあきらめた』山里亮太

天才はあきらめた (朝日文庫)

天才はあきらめた (朝日文庫)

この本はtelling,で連載されている佐藤友美さんの記事で知って、すぐにkindleでポチった。そして、面白すぎて一晩で読んでしまった。

南海キャンディーズ・山ちゃんの自叙伝で、今まで自分を如何に鼓舞し続けてきたかが書かれてある。劣等感に飲み込まれそうになりながらも、それをガソリンとして燃やし前に進む山ちゃんの姿は、とても人間臭くて、輝いて見えた。

M-1のときの話もあるんだけど、「この裏側にはこんな強い思い入れがあったんだ…」とyoutubeでそのシーンを見返しながら、ちょっと泣いてしまった。出会えてよかったなと思う本。 

 

3、『社会人大学人見知り学部卒業見込み』若林正恭

前述の山ちゃんの本のあとがきをオードリーの若林さんが書いていて、その文章がすごく良かったので、こちらも手に取ってみた。山ちゃんの劣等感や奢りにもすごく共感したんだけど、若林さんの「社会と自分」についての悩みは、私が抱えているモヤモヤにとても似通っていて、もうドストライクなエッセイ集だった。

売れる気なんてさらさらなく惰性でお笑いを続けていたら、気づけば立派な大人の齢になっていた。M-1をきっかけに爆発的に売れっ子になるも、世間が求めているものと自分の価値観にズレを感じ悩める社会人初期。

ロケで高い壺を目の前に「すごいですね!」とコメントするも、自分の中ではちっとも「すごい」なんて思ってない自分がいる。写真撮影で「笑ってください」と要望されるも、「楽しくないのになんで笑わなきゃいけないんだ」と思い悩み、それを周りに言ったら「尖ってるね!」と揶揄される。

お酌文化が「ご飯を奢っているのでせめてものサービスを…」というものなら、割り勘のときはお酌しなくて良いんじゃないか?と考えたら、周りには「屁理屈だ、大人になれ」と完結させられモヤモヤする。

社会人歴を積むに連れ、少しずつ社会のルールに浸っていくも、今度はそんなオートマティックな流れに「今、自分は本当に楽しいのか?」と疑問を抱く。悩みの深みに嵌らないためにゲームに没頭するも、今度はちょっとくらい悩んだ方が良いんじゃないかと揺れ動く。先輩方のアドバイスを素直に受け入れて、悩みのない穏やかな日常を手にするも、そんな毎日は空虚でちっとも面白くない。

人生って、0か100じゃないんだよね。行ったり来たり、時には0も100も両立させて進んでいく。「絶対こうすれば良い」なんて公式はなくて、自分なんてものは変えれなくて。それが人生で、それがありのままだなと感じた。

若林さんが何を感じて生きてるのか、他の著書を手に取るのが楽しみになった。若林さんがキューバに行ったときの旅行記があるらしいので、次はそれも読みたい。

 

4、『ソフィーの世界ヨースタイン・ゴルデル

新装版 ソフィーの世界 (上) 哲学者からの不思議な手紙 ( )

新装版 ソフィーの世界 (上) 哲学者からの不思議な手紙 ( )

最近、哲学系の本を読みあさってるんだけど、どの本にも既知としてフロイトとかニーチェとか哲学者の話が出てくるから、哲学の流れを一通り理解したいなと思って手に取った。

14歳のソフィーに向かって、謎の哲学者が哲学について時代順に講義していくというストーリーになっていて、とても丁寧でわかりやすかった。まだ読んでいない人にとてもおすすめ。

 

5、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』平野啓一郎

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

「本当の自分」はたった1つの人格ではなく、対人関係ごとに見せる複数の顔で成り立っている、という話を「分人」という定義を使って説いている。

「キャラとかを人によって使い分ける」みたいな分かりそうな話かと思いきや、個人主義の問題点や人を愛するということなど、内容はなかなか深かった。

特に発想が面白いと思ったのは、私という個人はいくつもの「分人」によって成り立っているのだから、つまるところ、私の存在は他者との相互作用の中にしかいないという話。

私は強い個人を目指した結果「今の私があるのは私のおかげ」「すべて自分の選択なんだからすべて自己責任でしょ」と冷たい性格が育ってしまったのだけど、その概念を介せば人との関係性を大切にできて、ちょっと優しい自分になれそうだなと思った。

でもさ、私の存在は他者との相互作用の中にしかいないと言うなら、私と向き合っているこの「私」ってなんなんだろうね?もちろん「私」という存在が周りから影響を受けていることには同意できるんだけど、自分が培ったオリジナルな「自分」というものも私はある気がする…というのがこの本から続く今の課題。ヒントになりそうな本があったらぜひ教えてください。

 

6、『孤独の価値』森博嗣

孤独の価値 (幻冬舎新書)

孤独の価値 (幻冬舎新書)

フロムの『愛するということ』では、人間は「孤独」を克服したくて自然に祈ったり、宗教でつながったり、集団を形成しようとしたりする、とあった。確かに独りで生きていくのは強いし、私も「孤独」というものを避けようとして、そんなに好きでもない友達と群れてみたり、家族に執着したことはあったな〜と思う。

で、フロムは「孤独を克服するための解決策は愛だ!」という持論で、「愛するということ」を説いてるんだけど、私的には「愛」の前に「孤独を克服する」という話に引っ掛かりを覚えた。孤独って克服しなきゃいけないんだっけ?

確かに独りで生きていくことは怖い。けど、だからと言って「孤独」が悪いものではないと思う。むしろ私はある一定の「孤独」を欲している。そりゃもちろん誰かと一緒にいるのは楽しいけれど、同じかそれ以上に、自分独りで本を読んだり考えごとしたりする時間が楽しいと私は感じる。

『孤独の価値』では、「孤独はそれほど悪いものではない、むしろ価値あるものだ」ということを説いていて、それではなぜこんなにも「孤独」というものが毛嫌いされているのかというメカニズムと、孤独の楽しさについて考察が広げられている。メディアが演出する安っぽい「感動」への反動として「孤独=ダメ」という価値観が植えつけられている、という話なんかが興味深かった。

個人的に痛快だったのが、文の端々に見える「考えない人」への非難。私は外から見ると思いつめて見えるのか、「考えすぎだ」とか「もっと気楽に生きなよ」みたいなアドバイスをよくいただくのだけれど、「考えている人」に対して「考えるな」というのは一種の冒涜だなあと我がごとながら感じていた。

考えることは、基本的に自身を救うものである。考えすぎて落ち込んでしまう人に、「あまり考えすぎるのは良くない」なんてアドバイスをすることがあるけれど、僕はそうは思わない。「考えすぎている」悪い状況とは、ただ一つのことしか考えていない、そればかりを考えすぎているときだけだ。もっといろいろなことに考えを巡らすことが大切であり、どんな場合でも、よく考えることは良い結果をもたらすだろう。

(『孤独の価値』位置: 469)

こういった場合に、「嫌なものは嫌なんだからしかたがない」と言う人が多い。これは、典型的な「思考停止」であって、その症状の方が、寂しさや孤独よりもずっと危険な状態だと思われる。思考しなかったら、つまりは人間ではない。人間というのは、考えるから人間なのだ。したがって、考えることを放棄してしまったら、それこそ救いようがない、という状態になってしまう。

(『孤独の価値』位置: 508)

 「思考しなかったら人間ではない…」とさすがにそこまではエクストリームなこと言わないけれど、「考えること」こそが人間を人間たらしめる側面だと私も思う。

 

7、『サラバ!西加奈子

サラバ! (上) (小学館文庫)

サラバ! (上) (小学館文庫)

*ネタバレを含みます。

「僕はこの世界に、左足から登場した。」という一文から始まるこの小説は、主人公『圷歩(あくつ・あゆむ)』が37歳までの半生を自叙伝として振り返るというかたちで綴られている。

父がイランに出向していた関係から、「僕」はイランで生まれ幼少期を過ごす。イラン革命の為に帰国を余儀なくされ、日本に滞在し、幼稚園・小学校へ通うも、また父の転勤で今度はエジプトへ。そこでヤコブというエジプシャンの少年と親密になるものの、両親の離婚を理由に帰国することに…というところで上巻がおわる。

上中下の3巻構成で、1冊1冊の分量も多く、しかも内容がよくも知らない誰かの出自を平凡なトーンで聞かされるというものなので、レビューなんかを見ると途中でギブアップしてしまった人も多いようだけど、私はまず上巻でググッと心を掴まれた。幼少期の「僕」の目線でエジプトでの生活が語られるのだけど(イランでは赤ちゃんだったので外界の描写は少ない)、その描写が驚くほどに鮮明なのだ。

窓から流れ込むアザーンの声に驚いたことや、エジプト人の酸っぱい匂い、物乞いをする人々への感情や、人懐っこ過ぎるエジプトの子供達(通称エジっ子)との攻防戦。私はエジプトを訪れたことがないから知らないけれど、「僕」が感じる何もかも全てがで等身大すぎて、こんな「小説読んだことない!」と興奮した。

聞けば、著者の西加奈子さんは「僕」と同じようにイランのテヘランで生まれ落ち、エジプト・カイロにも住んでいたそうだ。小説というかたちで、主人公の性別も違うけれど、きっと大半は自分の経験なのだろうなと納得した。

中巻・下巻では、気性の激しい「姉」と自由奔放な「母」との間で揉まれつづけ、「空気の読める良い子」として順調に人生を進めていくのだが、あることをきっかけに人生が転落し、引きこもりになってしまう。上手くいかない理由を外の世界に押し付けつつも、劣等感に飲み込まれていたところ、かつて問題児だった姉が現れ「自分の信じるものを探せ」と助言を受ける。

時間をかけて自分と向き合った結果「自分の信じるものはサラバだ」と気がつき(サラバの意味は小説を最後まで読まないとわからない)、物語(この小説)を書き始める…というところで物語はおわる。結構ネタバレしてしまったのだけど、この小説の本髄はこんなんじゃ損なわれないほど、深く深く用意されているので大丈夫だと思う。

本当にいろんな出来事が起こるので(何しろ3巻に渡って内容がみっしり詰まった小説だから)、どこが面白かったとかサラっと言えるお話じゃないんだけど、読み終わった後は信じることとか、劣等感とか、「姉・貴子」のこととか思いを巡らせる事柄がたくさんあった。ぜひ読んだ人とどこが印象に残ったかシェアしたい!

*1:ちなみに1冊目は苫野一徳著『はじめての哲学的思考』、2冊目は泉谷閑示著『仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える 』、3冊目は小野美由紀著『傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった』。