takumikoブログ

読書日記や日々の考えたこと、自分の見る世界を文字として産み落としています。

マオリの土地問題とエセジャーナリスト

1. 旅を仕事に

 

「好きなことをして生きていきたい」

 ここ最近、胸を張ってそう言えるようになった。

好きなことってなんだろうと考えたら「旅」というキーワードに行き当たった。せっかく生きてるんだから、ここにある世界を全部見てみたい。そう思うのは私だけではないだろう。

 

「じゃあ、旅を仕事にしよう」

 けれど「旅を仕事に」なんて正直ありふれている。旅ブロガー、インスタグラマー、ユーチューバー?どれも聞き飽きた。

「私は生きている間に何をしたいのか?」「自分が楽しかったらそれでいいのか?」そう考えたとき、「死んだ後に残るものが欲しい」そう思い至った。

だったら、残すべき何かを探してそれをドキュメントすればいいんじゃない?この時代、この環境で生きている私にしか見えないものはたくさんある。私たちが過去を学べるのはそれを後世に伝えれるカタチとして残してくれた人がいるからだ。今度は私がそれをするのはどうだろう?

残す価値のある内容を取りに行く。私の「旅を仕事に」はもしかしたら”ジャーナリスト”というカテゴリーが一番近いんじゃないだろうか?

そんなことを考えながら、ニュージーランドへ飛んだ。


2. ニュージーランド

ニュージーランド北島に位置するタウポは澄み切った青い湖から望む美しいトンガリロ山脈が有名な観光・リゾート地だ。

私はここから車で40分ほど離れたトゥランギという町のファームでお世話になることにした。

ウーフという形でマオリの血を引くホストが運営するファームをお手伝いしながら、地元のマオリコミュニティーに関わることができるという。

 

実は以前ニュージーランドに住んでいたことがあって、ニュージーランドは全体的にクリーンで感じが良いという印象を持っていた。人は優しいし、移民には寛容、政治はオープン、自然観光に力を入れているから環境保護もかなり手厚い。

いま住んでいるオーストラリアも似たような国の成り立ちではあるのだが、ニュージーランドほどクリーンなイメージを持った事はない。特にオーストラリアとアボリジニの関係は決して良いものとは言えない。

ニュージーランドでは原住民のマオリに対するリスペクトが強く、ニュージーランドの国民性にもマオリ文化がかなり影響していると思っていた。

以前、アボリジニと入植者について熱心に調べていた時期があった事もあり、今回の旅では「ニュージーランドマオリの関係性」にスポットライトを当ててそれを記事にしようと思っていた。

ニュージーランドマオリであろうが白人であろうが、どんなバックグラウンドを持っていてもニュージーランドに住んでいるならみんなキウイ(ニュージーランド人)だという意識が強く、人種問題についてはかなりの先進国だ。

しかしニュージーランドとて完璧ではないはず。

今回はマオリの人にお世話になるということなので、マオリ側から見たニュージーランドというものを探ってみることにした。


ホストのリサマオリの血を引く白人系の女性で、ニコニコとした良いおばちゃんというのが第一印象。見た目はマオリっぽくないのだけれど、口元のタトゥーを筆頭にマオリ文化をすごく大事にしているように感じた。

リサ自身は子供の頃は自分がマオリだという意識はなく、普通のニュージーランド人として暮らしてきたという。大人になるにつれマオリとしてのアイデンティティーを感じるようになり、15年ほど前に自分の部族の土地に移住し、先祖代々の土地をファームとして運営し始めたそうだ。

ファームを営む傍ら、地元のマオリ学校にガーデニングや給食のお手伝いをしに行っている。

私の到着した3日後がマオリのお正月であるマタリキに当たるらしく、リサはその準備に大忙しだった。

 

3. リサのはなし

 
翌日、地元のマオリ学校でマタリキに向けたイベントがあるということでリサに同行することにした。マタリキ前に全校生徒が一人一人スピーチをするという。

ファームから学校まで車で40分、リサとゆっくり話しをすることができた。

タウポ湖をぐるっと取り囲むカタチで引かれた道路を走る。車からの眺めは絶景だった。

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「キレイねー!」と感動する私。

すると突然、リサはワントーン低い声で話し始めた

 

「たくみ、あれを見なさい。あれは全部パケハの持ち物よ。」

湖畔の別荘と思わしき住宅を指して言う。

「これもこれも全部パケハのもの。見て、どの家にも車がないでしょう?これは別荘で1年に1回くらいしか使わないのよ。」とリサは続ける。 

パケハ(ペケハとも表記する)とはマオリ語で白人を指し、この場の意味では特に白人の入植者を指している。

「この土地は全て私たち部族のものだったの。それが今や全てパケハのものになってしまった。」

「ここに入植してくるパケハはマオリのことなんて還り見ようとしない。ただ良い眺めで良い家があればお金を払って終わりよ。」

マオリは土地を買い返すお金がないから元の土地(眺めのいい湖畔)には住めない。この地帯は私たち部族のものとされていてもね。」
 

私が旅で知りたかったことの核心に触れるリサ。

 

「ここはマオリのためのニュージーランドじゃない。私たちはまだ奪われ続けているのよ。」

 

この会話をきっかけに、私はマオリニュージーランドの関係が決して良いものではないことを知り始めた。

 

4. マオリから見たニュージーランド

例えば、トンガリロ地域では植林が盛んなのだけれど、リサ曰く、その植林に使われている土地はマオリのものなのにマオリは土地の租借代をほとんど受け取ることができていないという。一応土地についての使用契約はあるらしいのだが、正常に働いていないらしい。

私たちが走っている眺めの良い道を作るために元々住んでいたマオリは土地を取り上げられ、湖から道路を挟んで反対側の土地へ強制移住させられたそう。その際にお墓なども強制移動させられ、西欧風の墓地を充てがわれたという。

また、マオリの平均収入はニュージーランドの中でも低いらしい。この国の先住民としてマオリに賠償金の支払いや土地の返還が行われているならこんなことにはならないとリサは話す。

 学校ではマタリキのスピーチがあり私も見学させてもらった。

この学校はこの地域のマオリのための学校で赤ちゃんから高校生ぐらいまでの子供達が同じ校舎で学んでいる。授業は全てマオリ語で行われ、内容もマオリ文化に関することが多く取り上げられる。

スピーチもマオリ語で行われるので私には全く意味がわからないのだけれど、パケハという言葉が多用されていることに気がついた。

こそっとリサに何の話をしているのか聞いてみたところ、「マオリとしての自分を誇らしく思う」、「これからのマオリ社会を引っ張っていかなければ」といった内容を話しているそう。

その後もリサやマオリの人との会話から「ペケハ」「Maori's right(マオリの権利)」「unfair(不平等)」「decolonization(植民地支配からの解放)」といった言葉を頻繁に耳にした。


5. ファームでの生活

マタリキがおわりひとつ区切りがついて落ち着いたのか、リサはほとんどファームに立ち寄らなくなった。

初日からそうだったのだが、リサは今ファームに住んでおらず、他にウーファーもいないのでファームには私1人で生活している状態だった。これからしばらくは父親の住む実家でゆっくり過ごすらしい。

ファームではパーマカルチャーという、(平たくいうと人間だけではなく地球全体でハッピーになれる生き方を選ぼうというもの)を採用していて、ファーム内の建物はリサイクルの材料を使っていたり、何も無駄にしないようにと、人糞は肥料に、食べ残しは豚の餌に、燃やせるものは暖炉にとエコな生活を中心に営まれていた。もともと地球に優しいライフスタイルというのに興味があったから、今回の滞在はパーマカルチャーも一緒に学べて一石二鳥だった。

事前に勉強したことから、パーマカルチャーについては多少の不便が生まれるのは仕方ないと理解はしていたのだけれど、現実は想像以上に酷かった

例えば、ファームではパーマカルチャーといって人間にも地球にも優しいライフスタイルを採用していて、電気はすべてソーラーパネル。これはエコで良いんだけれど、ニュージーランドの雨が続く冬には十分な設備ではなく、電気は思うように使えず、夜はランプを灯す。

またお湯は太陽光で温めるんだけれど、これも温まらないから水シャワーしかでなくて、寒い冬空の下もはや修行状態。

もしリサも同じ環境で生活しているなら「そうか、エコってこういうことなのか」と納得できる。しかしリサは「これがエコな生活よ」と言いながら、「私は温かいシャワーやスピーディーなWifiといった文明のある生活が必要なの」と実家に戻っていった。

食事は自分で食料庫から勝手に材料を取って料理して良いスタイルだったのだけれど、あるのは豆の缶詰とパスタだけ。

リサがファームに滞在しないということで、私は飼っている豚と犬に餌をやってくれれば後は好きに過ごしていいという。

ウーフは働く対価として食事と寝床を提供するというものなので、餌やりへの対価とすれば妥当なのかもしれないけれど、いや豆とパスタって。。食材を買いに行くにしても足がないので正直かなり困った。

 

滞在はまだ1週間残っている。

私は滞在費を浮かしたくてここに滞在しているわけではないから「仕事が少なくってラッキー」と単純に喜ぶわけにはいかなかった。むしろ、この何もないファームで放置されてしまったら、本当に何をしに来たのかわからない。

豚の餌を運びにやってくるリサにマオリでもパーマカルチャーでもいいから何か関わりたいというと、「じゃあ何か考えてくるわ」と言ってくれるのだけれど、結局豚と犬の餌やりしか仕事はもらえなかった。 

途中からこのファームに滞在しながらホームスクーリングをしているというニュージーランド人家族が旅行から帰ってきて(私が来たタイミングで旅行に出発していたらしい)、暇な私は子供達の先生兼あそび相手というポジションになった。この家族を通していろいろな学びはあったものの、マオリやパーマカルチャーといったものには深く関わることはこれ以降なかった。

 

リサはマタリキというビックイベントで自分の次のステップが見えたのか、ファームを訪れる際に「今後はファーム内をマオリ語オンリーにしたい」「もっと畑を耕してマオリのコミュニティーガーデンを作るのよ」という話をしてくれるのだけれど、そのために何か始めましょうという話になるわけではなく、ただただ思いついたアイディアを一方的に聞かされるだけ。そして話が土地やマオリのことに流れると「パケハめ」とまた同じ話を愚痴るように話すのだった。

「今日は何食べた?」「いつここを出るんだっけ?」と一応気にかけてくれるのだけれど、会話中も自分の頭の中でいろんなアイディアが出てきて忙しいのか、聞いてきたのにもかかわらず会話の最後は「whatever(まあ、なんでもいいわ)」と投げやりに終わらせ、豚の餌やりよろしくねと言って帰ってしまう。

 蔑ろにされていることを不満に思いながらも、度胸のない私は何も言えず、結局10日間の滞在はこんな感じで終わってしまった。


6. 体験を形にする

帰国後、私は悩みに悩みまくった。

この体験をどう切り取ればいいのだろう?

私は何を伝えたいんだろう?

構成を練っては書き出し、練っては書き出し、を1ヶ月続けてきたけれども納得のいくものにはたどり着けなかった。


あまりにも書けないものだから、これは私の中に何か根本的な揺れがあるのではないか。そう考えた中に1つ見えたものがあった。

 
今回の滞在は私が思い描くジャーナリズム的な何かをカタチにしたくて行ったものだった。

もちろんニュージーランドマオリについて知りたいという純粋な気持ちもあったけれども、旅の主な目的は「ジャーナリストとして私はこんな仕事ができるんですよ」と人に見せられるものを作ることだったのは間違いない。

幸いにも記事作りのネタを掴むことはできた。リサのように自分の意見をオープンに語ってくれる人と出会えたことはものすごくラッキーだ。これでやりたかったジャーナリズムができるじゃないか!

ここまで素材が揃った。けれども迷う。

それはなぜか?

 『私はマオリの友達になれなかった』

 これが大きく関係していると思う。

 

7. エセジャーナリスト

『何かを伝える』ということは「誰かのために何かしたい」という気持ちが発端になるものだと思う。

例えば、

シリアの悲惨な状態を変えたいから、現地状況を写真や文章、動画を介して世界に伝える。

LGBTについて理解を広めてみんなが生きやすい世界を作りたいから、今起こっていることや1個人の声でも拾って世界に届ける。

これが正当なジャーナリズムであると私は思う。

 

私は旅を通して出会ったものを他の人にシェアしたい。

「こんなすごいものが世界にはあるんだよ」「私たちの知らない世界ではこんなことが起こっているんだよ」と伝えたいと思っていた。

『知ることから世界は変わる』

人は知らないとそれを選べない。知らないと新しい世界への扉は開かない。そう私は信じているから、伝える側になろうと思った。

 

けれども、今回のように伝えるために出会いに行くというのは順番が逆だった。

今ならわかる。私はエセジャーナリストだったんだ。

 そこにいる人たちのために何かしたいだとか、それについて自分が何かを世界に伝えたいだとか、そういった純粋な動機をすっ飛ばして、ネタがあるから取りに行く、まるで作品を作るかのように問題に関わる。そんな自己中心的な考えを持って相手の問題を消費しようとしていたのだ。

もちろん、始め方を間違えてしまっても、関わり合いの中で軌道修正することはできた。リサやマオリの人と仲良くなって「この人たちのために何かしたい」と思えれば万々歳だ。けれども、私は蔑ろにされることに腹を立てながらも、自分がドキュメントすることばかりに気を取られて、相手に歩み寄ろうとする努力が足りなかった。

今回はリサが忙しかったとか、そもそもリサは私に興味がなかったとか、友達になるハードルは高かったかもしれない。けれども、もっとリサと関係を深めるためにできることはあったと思う。

遠慮せずにもっと突っ込んだ質問をしたり、家について我慢するんじゃなくてこうしてほしいと頼んだり、いろいろ働きかけることはできたはずだ。リサ以外にも他のマオリの人に遠慮せずにもっと深く話し込めばよかったなと今なら思う。

チャンスははいくらでもあったけれど、私はそれを逃してしまったんだ。

 

こうして、せっかく知ることができたのに、根本的に「なんのために書くんだ?」というところで揺らいだ。 

リサたちの話に納得していない自分がどこかにいて「マオリはかわいそうだ」と言い切ることはできないし、友達でもない人の証言を裏付けるために膨大な英語やマオリ語の資料を読み漁るほどの熱量もなくなった。むしろマオリはかわいそうかもしれないが、パケハ、パケハと排他的に移住者を扱うことにも和解ができない一因があるんじゃないかとさえ思ってしまう。

 

7. 人に見せるための自分をやめる

「旅」というのは「自分が世界を見たいから」という個人完結的な理由が核にあるから、正直、旅すること自体をお金にすることは難しい。

だから、旅をしながらお金を稼ぐ人は自分の持つスキルと旅に掛け合わせたり、旅をしながらでもできる別の職業についていたり、ブログで稼いだり、有名になって旅先での仕事をゲットしたりと、みんな色々工夫している。

私にはお金になるような特別なスキルもないから「なんとか有名にならなきゃ!」とブログやツイッターを始めた。けれど、同じようなことを考えている人はごまんといて、その中で差別化をはかって頭ひとつ飛び出なきゃ有名にはなれない。

じゃあ、旅をしない人にもウケるように各国の問題をつついてみるのはどうか。そう思いついた私は「みんなに届けるために、現地に赴いてレポートするんだ!」と言う大義名分を担ぎ始めた(残すものを書きたいという気持ちもあったけれど)。

そして、その気持ちがエスカレートしていき、いつしか自分のための旅が誰かのための旅になった。旅していない間も「私は普通の旅人じゃなくてもっと知的で価値があるように見せなきゃ」と誰かに見せるための自分を意識するようになってしまった。

まるでインスタ映えを狙う女子のように、自分の見せたい世界観に合うようにだけSNS上で自分を切り取る。これがやりたいわけじゃないのに、みんなにウケるから、と旅をこじらせていった。

自分をブランディングするというのは有名になるステップとしては間違っていないのかもしれないけれど、頑張って自分を見せているからどんどん疲れてくる。「これを言ったらどんなふうに思われるんだろう?」と人の目を気にして、投稿するのが億劫になる。つまらない。更新頻度がどんどん落ちていく。負のスパイラルに陥っていった。

今回のニュージーランドでの経験から自分が如何にねじれていたのかがよくわかった。

 

「もうジャーナリストを気取ることも、見せるための自分を切り取ることもやめよう」

 仕事を作らなきゃ、旅をマネタイズしなきゃっていう思いはあるんだけれど、やっぱり「自分がたのしむこと」が一番大切だ。見たいものを見て、伝えたいと思ったことを伝えよう。旅は自分のためにするもの。ぐるぐる回ってやっと素直に言えるようになった。

次の旅はチベットにいく。

行くことを決めたときはまだ「なんのために旅をするんだ」という答えは出ていなくて、『中国のチベット民族に対する弾圧』『チベット民族の今』をドキュメントしに行くなんて、これまた偉そうなことを言っていた。

 けれど今はこう考える。

「私が行きたいから、チベットに行くんだ」

今まで知らなかった新しい世界を見てみたい。その地で生きる人々に会いたい。友達になりたい。だから行くんだ。チベット問題なんてその後でいい。まずは出会いたいんだ。

 

お金になるとかならないとか、そんなのわからないけれど、自分を偽らない。

これが「好きなことをして生きていく」のファーストステップなんじゃないだろうか?

旅の教養としての読書|「大国の掟」佐藤優

1

先日、「旅に出たい」と心が叫んだ。

2018年上半期は私にとって旅への挑戦シーズンであった。真夏の中央オーストラリアを車で縦断し、今度は真冬のロシアをシベリア鉄道で横断、からの東欧を何カ国か跨いできた。
オーストラリアに帰国して早3ヶ月。安定した毎日とは裏腹に、どこか知らない世界を覗いてみたいという思いがフツフツと沸いてきた。

 

私が「旅に出たい」と思うのは、広い世界を見たいという人間的冒険心と、新しいものに出会うことで自分の価値観をグラグラやってしまいたいという欲求があるからである。

実は今年以前の旅には”なんとなく”なものが多かった。日本に住んでいたとき韓国や台湾、フィリピンを訪れたが、それは「ここではないどこかへ行きたい」という気持ちからのもので、そんなちゃらんぽらんな動機だから実際に何をしたのかほとんど覚えていない。

冒険心だの旅への快感などは側近の旅で得た実感であり、ちゃんと目的を持って行った中央オーストラリアやロシアはしっかり覚えている部分が多く、わざわざ足を運んでよかったなと心から感じる。

逆にロシアの後に訪れた東欧諸国は、せっかくヨーロッパまで出てきたのだから見ていかないと”もったいない”という大阪のおばちゃん精神で行ってしまったため、パスポートを盗まれるという事件があったウクライナぐらいしか印象に残っていない。

「なんとなく」は「なんとなく」で予期せぬ出来事に出会えるという良い部分もあるが、旅を終え強く感じたのは、もっと知識を入れてから旅したいという気持ちだった。

 

恥ずかしながら、私はあまり世界のことを知っている方ではなく、地図上のどこにあるかさえ分からない国も多々あるし、大国でも政治的な関係性や宗教もしっかりとは理解していなかった。

適当にこの景色見て見たいと観光地を選ぶことはできるが、私は現地の人と交流したり文化を体験したりするのが好きなので、その国自体のことを知らないと行きたいかどうかすらわからない。1つの国を絞ってウィキペディアなどで情報を入れることはできるが、大陸国を訪れてからは隣国との繋がりも大事だなと感じるようになった。

ということで、次回旅に出るなら世界のことをもっと知ってからと、今は勉強中という処遇である。

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(写真はシベリア鉄道乗車時に撮影)

2

今回手に取ったのは佐藤優「大国の掟」

佐藤さんは在ロシア(ソ連日本大使館に勤務していた元外交官で、私の敬愛する作家でロシア語通訳者でもある米原万里さん経由で佐藤さんのことを知った。

専門的な話だったらどうしよう、と予備知識の乏しい私は恐る恐る読み進めていったのだけれども意外と理解できたので、私のような世界情勢初心者の方にオススメできる。

本書の内容に触れると、

国際情勢について解説する本はたくさんあるでしょう。しかし、情勢は巡るましく動いていきます。いくら最新の情報とはいえ、たちまち古くなってしまう。重要なのは、表面的な情勢がどう動いたとしても変動しない「本質」を把握すること。言い換えれば、アメリカをはじめとする「大国を動かす掟」について理解を深めることなのです。(「大国の掟」p.9)

世界情勢を正しく理解するには、表層だけを追いかけるのではなく、変わらない部分、つまり、積み重ねてきた”歴史”と”地理”という物理的な制約を理解することが必要である、と佐藤さんは語る。

世界を理解するためには歴史を勉強するのが良い、と大人の教養として歴史本などはよく見かけけれども、それを”変わらないもの”として国の傾向を分析をし、さらにその背景として地理的な見解を含めたものはあまり手に取ったことがなかった。

変わらないものとして歴史、地理、そこに宗教をプラスして本書は展開していく。全ては密接に関係しているので、その繋がりにハイライトをおいた解説はとても分かりやすく読み応えがあった。島国で(主に)単一民族国家である日本で生まれ育った私からすると、特に中東あたりの大陸国家で民族や宗教の違いが複雑に交わっているエリアは苦手意識が強かったが、紐解くように一つずつ丁寧に話を進めてくれたおかげで、なんとなく全体像が掴めたように感じる。

 

こうした地理的な環境が国家の歴史や政治的側面に与える影響を研究する学問を地政学と呼ぶのだけれど、地政学は 戦争を正当化するために利用されたという事実から(今もロシアはバリバリ使ってる)、戦後の日本では研究するのも教えるのも避けられていたそう。

けれども、この複雑な情勢下、地理と歴史の関係性を無視して現在起こっている出来事を理解することは困難だし、私のように自分で現地に足を運び、ここに山がある、ここには河がある、だからここの文化や人はこのようなのだと確かめたい旅人にとって地理という要素はかなり大事だなと読了後、改めて感じた。

 

3

本書では地政学やらシーパワー、ハートランドなど聞きなれない要素もあったがよく理解でき、最後まで読むことで、頭の中に世界地図が広がった。言うなれば、世界を見るための大きな枠を与えられたような感じだ。

もちろん、1冊の本で世界を理解することなんて到底不可能なので、今後はジグソーパズルのピースを埋めていくように、気になったことを一つ一つ調べ、貯めてきた知識を現地で答え合わせし、同時に自分の体験として深めながら、自分の世界を広めていく予定だ。

 

今回特に気になったのは新疆ウイグル自治区や中東の”国境”という問題。海で全方向を囲まれた日本にとって国境は海岸線を意味するので分かりやすいけれど、大陸かではそうはいかない。

本によるとイスラム教の世界観では国境というものが認められておらず、ムスリム圏であれば人は自由に移動できるそう。しかし、そこに欧州の事情で国境を引き、それによって人々の移動が制限されてしまった。国という単位は世界共通で当たり前なものだと思っていたけれど絶対的に良いシステムというわけではない。1つ1つの国として認識することで逆に頭の中の世界地図では靄がかかっていたように感じる。勉強を続けて近いうちにぜひ訪れてみたいと思う。

 

4

旅に出てみてよかったなと思うことの一つに、世界を自分ごととして考えられるようになったということがある。

私が訪れたのは200か国以上ある国々の中のせいぜい10数カ国だけれども(しかも旧ソビエト圏ばかり)、例えばEUとロシアの間に挟まれたウクライナの状況など訪れるまでは少しも考えたことがなかった。ロシアなんて寒くて広いぐらいしかイメージがなかったけれども、そこに知っている土地と人があるから、外交上のプーチンの動きなんかがよく目に入るようになった。

反対に海外を見ることによって、日本の動向もきになるようになり、今まではどこか他人事だった世界のことがどんどん近くに感じ、いい意味で世界が小さくなったように思う。

学生時代、世界のことについてたくさん学んできたけれど、学校で教わることはどうしても受け身で、それが自分の何かと繋がっているようには考えられなかった。高校時代は世界史と日本史をとっていたけれど、この時の勉強はキーワードや年号を頭に叩き込むだけで実際は全く実用的じゃなかった。

大人になってから「学生時代にもっと勉強しとけばよかったな」と思う人が多いと聞いたが、個人的には、意味のない詰め込み学習なんてせず、もっと早い段階で世界に飛び出していたかったなと思う。

 

まあ、そんな過ぎた過去を思い起こしても仕方がない。「今の自分が一番若い」という言葉を噛み締めて、貪欲に自分の世界を広げてゆこうじゃないか。

大国の掟 「歴史×地理」で解きほぐす (NHK出版新書)

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ウクライナでパスポート盗まれたけどウクライナが大好きな理由。

 

今年の3月こんなツイートをした。

 

今回はこの事件を振り返ろうと思う。

(文章少し長めです。)

***

 

2月末、ウラジオストックをスタート地点に始まった、ユーラシア大陸横断の旅。

シベリア鉄道に揺られること約1万キロ*1。真冬のロシアをのらりくらり進み、

 

バルト三国を南下し、

 

ベラルーシに少しだけ立ち寄り、

 

やっとこさ、ウクライナにたどり着いた。

 

ベラルーシの通過ビザの日程だがかなりギリギリだったのと、ケチって時間帯の悪いバスを買ったこともあって、リトアニア→夜行バス→ミンスク(12時間の滞在)→夜行バス→キエフ、と2日連続夜行バス。

しかもウクライナ入国時になぜか引っかかってしまい(ロシアで何してたかしつこく尋問された)、寝不足と疲労がマックス。

 

そんな中たどり着いたキエフ

正直あまり期待していなかったんだけれど、予想外の好感度。意外に都会で街はキレイ。メトロも行き届いていて使いやすいし、物価はロシア並みに安い(宿がドミトリーで400円、ネット3GBで300円、カフェでコーヒー1杯100円)

そして何より、人が優しい。行き先が分からなくて困っていたら声をかけて助けてくれるし、ロシア語もウクライナ語も分からない私のために頑張って英語で話そうとしてくれる人が多い。(ロシアではロシア語分からないと言ってもロシア語で強行されことが多かった)あと、笑顔が多い。

 

到着後、ネットで予約したホステルへ移動。ニコニコしたおばちゃんが迎え入れてくれた。このおばちゃん(ナターシャという)も良い人で、英語は全く分からないがスマホを駆使し、慣れた手つきでロシア語と英語を翻訳する。

ベットメイキングに時間がかかるからとお茶を入れてくれ、この人は英語が分かるからしばらくお喋りしてみたら?と他の滞在者まで紹介してくれる。すぐに気に入った。

 

暫くネットを使っていなかったので、ノマドの間で有名なカフェに行ってみたところ、Wi-Fiも意外と速く(ロシアよりはマシ)快適。カフェの内装もこだわっていて可愛い。

 

物価も安いし、ネットも悪くない。人は優しいし、居心地のいい宿も見つけた。沈没するには完璧だ。

度重なる移動に疲れていた私は少しの間キエフで羽を休めることにした。

 

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夜7時頃、ご飯でも食べて宿に帰るかとカフェを後にした。外はもう暗くなっていたが、1駅分ほどの距離だったので歩いて帰ることに。一番大きい通りを通って帰るので問題はないだろうと判断した。

キエフにはヨーロピアン調の大きい建物が多く、歩道は石畳み。夜はそれが街灯に照らされ、情緒がある。また、ブランドなどの広告も多く、特に韓国系企業のロゴが目につく。ロシアから思っていたけれど、この辺りは日系ではなく韓国系が今強いんだな、なんて考えながら歩いていた。

 

キエフ市街地では地下道が多くみられる。大きな道では横断歩道が設置されておらず、渡りたいときは地下へ一度降りないといけない。地下道内は大きなショッピングモールになっていて衣類や健康食品、電化製品などの店が軒を連ねている。

ショッピングモールはウサギの巣のように地上への出口が何個もあり、結構入り組んでいて、私みたいな旅行者にはどこの出口で出ればいいのか分からなかったりして中々難しい。ただ、雨や雪の影響がないのでささっと通過するのには便利だ。

 

カフェからの帰り、ウクライナは素敵だなとルンルンで歩いていたところ、急に雨がパラついた。手持ちの傘はなかったので、コートのフードを深くかぶり早足に歩く。背中のリュックは多少濡れても問題ない。

少し歩いたところに地下道の入り口が見えた。ラッキーと思い、迷わず進む。

地下へ降りる階段のそばの建物の軒先に14歳ぐらいのウクライナ人少女が5人ほど雨宿りしていた。なぜか私をジロジロ見ている。あまりいい感じはしなかったけれど、アジア人旅行者が珍しいのか、ロシアやベラルーシでもこういった目線を何度か感じていたので、大して気にせず地下道への階段へ足を運ぶ。

階段を降り始めた直後、背中でチャックの開くような音がした。

 実はロシアでよくリュックの小さい外ポケットを開けられることがあった。旅行者を狙ったスリである。信号待ちしてるときなどに気軽に開けるらしい。この教訓から外ポケットには何も入れてはなかったのだが、定期的にポケットが開けられていないか確認する癖がついた。

このときも、キタ!と咄嗟にポケットを手で押さえ、同時に大きく振り返えった。

しかしながら、ポケットのチャックは空いておらず、振り返った先には、先ほどのウクライナ少女たちが私のいきなりのターンに驚いた顔をしていた。

 

この瞬間、私は心の中で「ああなんて私は心の荒んだ人間なんだ」と悔やんだ。

私はこの幼気な少女たちをスリと疑ってしまった。きっと先ほどの違和感はフードを被っていたせいで音がこんがらがって聞こえたのだ。なんてこった。こんな少女たちがスリだなんて、ウクライナ人に失礼な勘違いをしてしまった。。。

罪悪感に苛まれつつも何事もなかったので、「イズヴィニーチェ」とロシア語で謝罪し、くるりと前に向き直し階段を降り続ける。

しかし、背後の人間がやけに近い、気がする。。

ちょっと近すぎるんじゃない?と感じていた次の瞬間、背中に明らかな違和感が!これは絶対おかしい。

ちょうどその瞬間階段を降り切ったので手早くリュックをおろして確認する。外ポケットは開いていない。

が、大きいチャック(上に付いているメインのチャック)がベロンと開いているじゃないか!

なんだ私が閉め忘れたのか?(よく閉め忘れる)それにしても大きく開きすぎている。おかしい。盗られたとしたら何を盗られた?

冷や汗をかきながら1、2秒のあいだ頭を巡らせる。視界の端で少女たちが足早に過ぎ去ってゆく。

パソコンもある、携帯もある、お財布もある。何が無くなっているのか分からない。

けれど、盗ったとしたらさっきの少女たちだ。

パニックになりながらも、チャックを閉め、リュックを背負い直し、地下道を追いかける。

 

しかし、もう手遅れだった。少女たちの姿はどこにも見当たらない。そもそも、一人一人の顔なんて覚えてないし、誰が何を取ったのかも分からない。途中の出口で出られていたら絶対に見つけられないと理解しつつ、ショッピングモールの最後まで走りきる。

見つからない。

はーはーと息切れするアジア人を不審そうに横目に見ながらウクライナ人たちが通り過ぎてゆく。

 

走っている途中に何を取られたのかに気が付いた。

先ほど述べたようにロシアではスリが多かった。特にリュックは持ち主の死角に入るので狙われやすい。例えリュックの奥に入っているものでもサイドからナイフなどで切られて盗まれる、なんて怖い話も聞く。(これはロシアだけじゃないだろうけれども。)

どうしたってリュックの中は安全じゃないなと判断した私は、最低限の貴重品は斜めがけできる緑のポシェットに入れてコートの下に携帯していた。これなら脱がされない限り安全である。

通常はコートの下に忍ばせているのだが、ルンルンで警戒を怠っていた私は愚かにもリュックの中に入れてしまっていたようだ。そしてそれが無くなっている。

幸いにも携帯とお財布はコートの内ポケットに入れていたが、ポシェット内にはパスポート、お守りの現金1万円宿のロッカーの鍵が入っていた。

 

「あいつらやっぱり泥棒だったのか。謝って損した。そして、パスポート!なんでこのタイミングでリュックに入れちゃうんだよ、自分。」

諦めきれなくて、この怒りをどうにかしたくて、少女たちを探して夜のキエフを走り回る。悔しくて涙が出るけれどもそんなの気にする余裕なんてない。土地勘のない街でひとりぼっち。急にウクライナが冷たく感じる。

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結局、1時間あまり探し回ったものの見つからず、夜も遅くなってきたので宿に戻ることに。

扉を開けるとナターシャがお茶を飲みながら本を読んでいた。私のボロボロの顔に驚くナターシャ。状況を説明し宿のロッカーの鍵をなくしてしまったことを謝る。ロッカーの鍵はオーナーが持っているから心配しなくていいとナターシャは言い、違う部屋にいるオーナーを呼んできてくれた。

オーナーもまたおばちゃんで(ザーニャという)少し英語が分かる。もう一度何があったのか説明し、スペアキーが欲しいのと、パスポートがなんとかなるまで暫く滞在させて欲しい旨を伝える。(パスポートがないと他の宿泊所にチェックインできない)

ナターシャもザーニャも親身になって話を聞いてくれた。キエフでスリは日常茶飯事らしい。私が宿に泊まることは問題ないからまあお茶でも飲んで落ち着きなさい、と暖かいミルクティーを入れてくれた。

 

 

翌日、領事館に連絡すると早ければ1日でパスポートを発行してくれると言う。オーストラリアで失くしたときは最低1週間かかり、戸籍謄本の原本が必要で、、と面倒臭かったので今回も同じように面倒くさいと思っていたら、私が旅行者ということを加味して、警察の紛失届とお金さえあればすぐに手続きをしてくれるという。

領事館のフレキシブルな対応のおかげで少し気分が晴れた。

 

部屋でいそいそと紛失届について調べていると、ザーニャがやってきて、ご飯は食べたかと聞く。そういえばウクライナに着いてからまだちゃんとしたご飯を食べていない。気づけばもう昼前だ。

食べていないと答えると、ザーニャが美味しいレストランを紹介してくれた。プンザハタという安くて美味しい大衆食堂のようなところだ。ウクライナ料理といえばキエフ風カツレツを食べようと思っていたのだ。元祖ボルシチも食べたい。

急にお腹が空いてきたので、散歩がてら出かけることにした。宿を出る直前、ザーニャはビールを飲むのを忘れないように、と付け加えた。お昼からお酒でも飲んで元気出しなさいということらしい。パカパカ〜(ロシア語でバイバイ)と告げ、宿を出る。

 

ザーニャおすすめのプンザハタは誠にリーズナブルで美味しかった。お腹いっぱい食べてもたった500円。デザートのブリヌイを食べながら今後のことを考える。

パスポートなんて結構痛い出費だな、けれど5年用にしといてよかった〜みたいなことを考えていたら携帯が鳴った。見知らぬアカウントからフェイスブックにてメッセージが来たのだが、中身はキリル文字でよく分からない。グーグル先生にお願いして翻訳してもらうと、ウクライナ語で「あなたのパスポートを拾いました」と書いてある。なんだと!!

パスポートの名前をみて検索したようだ。すぐに感謝の言葉と引き取りたい旨をウクライナ語に翻訳して送る。すると電話番号が送られてきて、電話しろという。ウクライナ語もロシア語も分からないのでメッセージでやりとりしてほしいと返しても、電話しろの一点張り。しょうがないので宿に帰ってザーニャに助けを求めることに。

 

 

帰宅そうそう、ザーニャは何を飲んだ?と聞いてくる。それどころじゃないのだが、オレンジジュースと答えると、ちょっとがっかりした模様。今晩必ず飲みなさいと繰り返した。

ザーニャにパスポートのことを伝えると、ちょっと渋い顔をした。周りにいたウクライナ人滞在者とウクライナ語で何か話す。なんのことか全く分からないけれど、とりあえず雲行きは怪しい。

ウクライナ人の見解では、この拾った本人が犯人ではないかそして引き渡しにお金を要求されるのではないか、とのことだ。

威圧感を出すために、男の人が電話をかけてくれた。相手は女性の声。もちろん、何を言っているのか分からない。話がスムーズに行かないのか、しびれを切らしたザーニャが受話器を取り、引き取り場所を聞き出す。

電話の後、うーんとなるウクライナ勢。説明によると、これは物凄く怪しい。引き渡しにお金はいらないと言うが、お気持分頂いてもいいわよと相手は濁したそう。それがいくら欲しいのかが結局分からずじまい。そして、引き取り場所に車じゃないといけないようなキエフ郊外を指定してきた。しかも治安が悪いエリア。とてもじゃないけれど外国人の私1人じゃ行けないという。

 

スリも多いが、こういった取引も日常茶飯事らしい。結果、ザーニャのお兄さんが友達と連れ立って取引に出向いてくれることに。時間は朝11時。意外と健全な時間帯だ。

私も行きたいと申し出たが、外国人の私がいると足元をみられるかもしれないから連れていけないとのこと。深夜特急で同じようなシチュエーションがあったのを思い出し、まさか相手はマフィア?!とビビったのだけれど、ザーニャ曰く相手はただのチンピラよ、危険なんてないとのこと。高い値段をふっかけられたら諦めるから心配するなと慰められた。

 

警察には頼れないのかと聞いてみたところ、みんな口を揃えてウクライナ警察は信用できないという。警察に通報しても動いてくれないし、警察が下手に動いて相手にバレたら、逃げられてパスポートは一生戻ってこないそう。なるほど。

結局私は宿で待機することになった。

 

 

翌日、ドキドキハラハラしながらお兄さんの帰りを待つ。小さい宿なのでみんな事情を知っているのか「大丈夫か?」とか「どうなってる?」みたいな声をかけてくれる。あと、気分が落ちるときは甘いものをと思うのか、なぜかみんなチョコレートをくれプチバレンタインみたいになった。ザーニャは相変わらず今晩は飲むのよ!とそればっかりである。

 

 

12時ごろお兄さんが帰宅。手には私の緑のポシェットが!!

中身を確認すると、やはり現金の1万円はなくなっていたが、他のものはそのまま入っている。パスポートはもちろん、宿の鍵も。

お兄さん(ザーニャのお兄さんなので正確にはおじさん)にどんな感じだったか聞くと、古いビルの一室で取引だったそう。相手は電話の女性ではなく男性。危険はなかったかと聞くと、銃でドカンと打ってやったぜ!ハッハッハー!と冗談で返された。とりあえず危ないことはなかった模様。

もちろんお金は要求された。その額200フリヴニャ。日本円換算すると約800円である。

日本人的感覚では「800円、安!!」であるが、ザーニャ曰く「高すぎる。50フリヴニャ(200円相当)が相場。出し過ぎよ!」とおじさんは怒られていた。

私としては800円で済んで万々歳である。パスポートを再発行したら1万円以上はかかる。

800円分返すのはもちろん、見ず知らずの私のために時間を割いてくれたことへの感謝を含めて、上乗せしたお金を渡そうとしたら、「いいか、ダーリン。返すのは800円分でいい。俺たちは悪いやつじゃないからな。それ以上のお金はいらないぜ!」とクールに断られた。おじさんカッコイイ。。

 

ということで、事件は一件落着。パスポートは無事私の元に帰ってきた。

お返しはいらないと言われたものの、やはり何かの形で恩返ししたかった。数日後、ちょうど”女性の日”という祝日があり、女性にお花やチョコレートを渡すイベントがあるという。私もお世話になったザーニャやナターシャにお花を渡す予定だったので、それに便乗しておじさんにもちょっと良いウイスキーを買ってみた。

「今日は女性の日なのに逆にもらっちゃったよー」なんて少し照れながら今回は受けっとってくれた。(翌日、おじさんではなくザーニャが「たくみ、乾杯しましょ!」なんて言いながら飲んでいたのは後日談。)

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女性の日にあげたお花。

***

 

ウクライナはEUとロシアの間で宙ぶらりんな状態が続いている。

国内で親欧派・親露派に別れ政治は混乱。経済的に頼りにしていたロシアからは天然ガスの供給を止められたり、比較的豊かなクリミアを占領されたり。ソ連時代からの負の遺産チェルノブイリ原発事故の後処理もまだ終わっていない。

西のEUに助けてもらうこともできず、国の経済はかつかつ。国民の平均月収は2万円ほど*2パスポートの取引で渡した800円もバカにならないそうだ。働いても稼ぎにならないから、若者はスリなどの軽犯罪に手を出してしまう。今回私がスリにあったのにはこんな背景があったことをザーニャはウィスキー片手に語ってくれた。

私の話になり、今までカナダやニュージーランド、オーストラリアをうろうろしながら働いてきたことを話すとザーニャは驚いた。ウクライナ人は他国で就労ビザを取得することが難しく、隣国へ逃げようとしても働けないから国を出れないそう。ザーニャは宿の経営をしているので貧困してはいないけれど私のように自由に海外旅行するほどの余裕はないそう。私の分まで世界を見て楽しんでねと言われたことが今も印象に残っている。

  

***

 

今回、ウクライナでパスポートを盗まれた。正直かなり焦ったし「ウクライナめ!」と悔しさのあまり国を逆恨みしそうにもなった。けれど私はウクライナが大好きだ

今回のことで感じたのは、国を好きになるかどうかっていうのは、その国に好きな人がいるかどうかなんだということ。

私はウクライナでたくさんの良い出会いに恵まれた。

 

ザーニャやおじさん、ナターシャはもちろん、他の宿泊客にもたくさん良くしてもらった。お客さんのほとんどは地方からキエフに仕事を探しに来ている若者で、地元のことや仕事の話をたくさんしてくれた。

他の場所では日本語を勉強しているウクライナ人の学生さんと仲良くなって、観光案内してもらったり、一緒にヨガに行ったりした。将来は日本語の先生になって、ウクライナと日本を繋ぐ架け橋になりたいという。

毎日通ったプンザハタでは、店員さんたちが顔を覚えてくれて、同じものしか注文しない私に「これ美味しいから食べてみろ」と違う料理をオススメしてくれたり、英語や日本語で会話しようとしてくれたりした。

ウクライナ在住の日本人の方々とも知り合いになって、一緒に鍋を突きながら、ウクライナに住むのも結構大変なんだけれども、やっぱり好きなんだよね、人が優しいんだよね、とウクライナへの愛を伝えてくれた。

ウクライナ”と言われて真っ先に思い浮かぶのは、出会ったみんなの笑顔だ。

先で述べたように、ウクライナは国としてたくさん問題を抱えているが、それはウクライナだけのせいではない。ロシアとEUという大国たちの板挟みにあうような世界情勢、歴史的背景にも理由があり、正直、ウクライナは可愛そうだとも思う。このような事情も彼らとの出会いで人ごとではなくなり、ただの傍観者から彼らの友人としてなんとかしたいと考えるようになった。

私は彼らのことが好きだし、彼らの住むウクライナのことも同じように好きだ。すべてひっくるめて心の底からウクライナに行ってよかったと思う。

 

観光客として、国の煌びやかな部分をみたり、歴史や文化的な背景を知ったりすることも楽しいけれど、人との出会いというのはそれ以上の価値があると思うし、これからも世界中に友人を増やし続けたいと思うきっかけになったウクライナであった。

 

*今回私が狙われたのはやはりフードをかぶっていたからだと思います。視界も聴覚も制限されてしまうので、寒い時は帽子をかぶることをオススメします。

*領事館の方にも注意喚起されたのですが、ウクライナでは路上でのスリだけでなく、宿での窃盗も多いそう。私は幸いなことに人に恵まれましたが、そういうこともあると念頭に置いて行動することは大事だと思います。

*おじさんの話によると取引はビルの一室で行われたそう。しかも相手は男性。これに私1人で行っていたとしたら、、考えるだけで怖いです。万が一このような事態に巻き込まれても1人では行かないこと。命より大事なものはないですから。

*1:どの路線がシベリア鉄道に含まれるかは場合によって異なりますが、ウラジオストックイルクーツクエカテリンブルク→カザン→モスクワ→サンペトロブルク間を鉄道で移動しました。

*2:あくまで、ウクライナ人から聞いた額なので正確なところは分からないが、貧困であることは間違いない

誰かの役に立ちたい欲

自己啓発書なんかを読んでいると、人間は人から認められたい、承認欲求というものがあるらしい。

良いことをして褒められたい、誰かに必要とされたいなど、色々な欲求が絡んでいるようだが、そんな欲の中に”誰かの役に立ちたい欲”というものがある。

私は別に悪人であるわけではないので、世界みんなが困ればいいさ、みたいなチープな悪役のような思想は一度も持ったことはない。

しかし同時に、自分の利益を顧みず、これが誰かの役に立てれば光栄だ、とも思ったことがなかった。

 

幼い頃、将来の夢は?とお決まりの質問をされた。怪我や病気で困っている人を助けたいからお医者さん、看護師になりたい。弁護士になって困っている良い人を助けたい、なんて隣の子に言われたらちょっぴり引いている自分がいた。

お金持ちになりたい、サッカー選手になりたい、スチュワーデスになりたい。その先に何がしたいかは分からないが、なんとなく自分の好きなもの、やりたいことに従って生きている方が子供ながらに全うな人間なように感じていた。

歳をとるにつれて、社会というものがわかってくると、引くわーということは少なくなったが、やはり自分の身を呈して、困っている人を救おうとしている人たちを見ると、すごいなー、なんだか違う人間だなと感じていた。

 

自分のために生きて何が悪い。

人生は限られている。その限られた時間を自分のために精一杯使おう。そう思って、心の赴くままに好きな事ばかりやってきた。正直、自分の行く先が分からなく、むしろ他の人のために!と使命感の溢れてやることが決まっている人を羨やんだことも何度かある。それでも、自分は自分だ、私は自由なんだ、とワクワクすることを探して、選んできた。

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***

後、数ヶ月で24歳。

ハタチを過ぎたら人生早いよーと先行く人たちに忠告されてきたように、毎日が加速した。

ちょっと前に成人式を迎えたような気がしてたら、毎日が飛ぶように過ぎて、知らぬ間にもう”大人”になっていた。

 

将来の夢は?と聞かれたら間違いなく”幸せになりたい”と私は答える。
もっともっと幸せになりたい。貪欲で自分のために生きていることには変わりはないが、最近、その”幸せ”の中に他の人の幸せが含まれても良いんじゃないかな?という気がしてきた。

他者の役に立ちたい、という大きな気持ちではまだないが、自分のできる範囲で、誰かが私の存在によって助かった、ちょっと幸せになった、そんなふうに思ってもらえたらなんだか良いなと思い始めた。

きっかけは正直わからない。今まで自分が色んなところで助けてもらったから、今度は助ける側になってみたい。今までは後ろ盾のない不安定な自由だったけれど、経験と自信がついた今の私は自由かつ心に少し余裕を持てるようになった。

もちろん、たくさんの良い人たちに出会って、自分もこんな風になってみたいなとも思った。良い人は総じてキラキラしていて温かい。
人の為に自分の大事な時間を使うなんて想像できなかったけれども、やってみたい、そんな自分もありかな、と小さな理由がひっついて自分の気持ちを動かしているように感じる。

***

もちろん、こんな自由人が経済的に安定しているわけではないので、全てをボランティアで何かをすることはできない。もちろん新しいことを始めるならビジネスとして、自分の利益プラスαで何か誰かに助けになれば良いと考えてる。

何か大きなことを打ち上げたいな、と意気込んでいたら、相方の吉田から良いことを聞いた。

誰かの為、なんて大げさに考えなくても、そこにあるだけで誰かの為になっていることはたくさんある。たとえば、自分がカフェで過ごす時間が好きだから、自分好みのカフェを開いてみた。消費者でいられなくなって、自分で展開してみたということはよくあるビジネスのスタートだと思う。そのカフェがいつしか穏やかな時間を過ごす、誰かの憩いの場所になっていた。誰かに、あー、ここに良いカフェがあってよかったわ、なんて思ってもらえたら、意図せずともその誰かの役に立っている。

自分の為に始めたことが廻り回って誰かの役に立っちゃってること、それが例え”ありがとう”とわざわざ言葉で表されることでなくても、あるはずだ。まだ、大きなことはできなくとも、そういった自分ベースの人助けが生まれれば良いな。

転じて、自分のアウトプット、あわよくば気の合う友達探しの為に始めたこのブログも何かの形で誰かの為になれば良いなー、とこっそりと願う。

エストニアでキャッスレス対応してもらえなくて自分のブロマイドを生産した話。

世界的にキャッシュレス化が進んでいると有名なエストニア共和国

夜行バスでサンペトロブルクからタリンに降り立った。

まずは何よりトイレに行きたい。

しかし、トイレの使用には30セントのコインが必要とのこと。

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結構緊急事態だったので、ユーロを持っていなかった私は、すぐにATMで20ユーロ下ろす。

しかし、出てきたのは20ユーロ札だ。

 

事が起こったのは朝5時半。チケット売り場もキオスクも閉まっている。開店は7時だ。1時間半も待てる余裕はない。

待合の人に小銭と交換してくれないかと頼むが、20ユーロが大きすぎる。誰も替えれない。

ロシア人らしき人にルーブルコインとユーロを替えてくれないかと頼むが、ここはエストニア。誰もルーブルなんて欲しくない。

外に出て周りを見回ったが、こんな朝早くから開いている店はない。もちろん公衆トイレもない。絶望的だ。

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まだ朝と呼べない暗さ。しかも吹雪。


6時、キオスクが品入れの為に少し開いていたので、営業時間前を承知で、声をかけてみる。案の定、開店前だから出ていけ、と一点張り。

しかし、こちらも緊急事態なのだ。話を聞いてくれと懇願する。

英語が分からないのもあって、おばちゃんも焦り、最終的に声を上げて怒られる。

結局コインには替えてもらえない。周りの待合客の目線が痛い。涙が出る。

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どうして、トイレ如きが使えないのか。エストニアはキャッシュレス社会じゃなかったのか。

そんなとき、希望の光が。

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ロシアでもよく見かけた、即席のプリントマシーン

インスタグラム等から写真を選んで印刷できる。

「誰がこんなところで写真印刷したいねん」ちょっと小馬鹿にしていたけれど、よく見ると、お札の入り口があるではないか。

写真1枚1ユーロ、印刷は2枚から可能。
もちろん写真なんて欲しくない。

けれど、今は非常事態。コインが手に入るなら、もう何でもいい。繰り返すが、緊急事態なのだ

 寝不足の重い頭と、ギュルギュル唸るお腹を抱えた私は決断した。

20ユーロ札を恐る恐る差し込む。
インスタグラムIDを入れる。
8つしかない投稿から、手早く、2枚を選ぶ。
印刷する。


機械の音がいちいち大きい。
静まり返った早朝、寝ている人も多い。
周りの視線が痛い。恥ずかしい。
ガラガラと2ユーロコインが溢れ出る。

 

ついに、ついに、手に入れた!お腹は爆発しそうだ。

むしり取るように、写真を掴み、走る。


こうして、2枚のキラキラなブロマイドがここにある。


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1枚1ユーロでいかがでしょうか?

 

 

 

P.S.

みなさま、北欧各国はキャッシュレス化が進んでいると有名ですが、もちろん100%ではございません。緊急時に備えて、小銭を含むいくらかの現金を持ち歩くことをお勧めいたします。

ちなみに、後日、スウェーデンを訪れた友人は、スウェーデンでは上のようなトイレでもキャッシュレスだったよ、と情報が入りました。スウェーデン行きたい。。

 

日本人よ、お客様をやめなさい

日本ではお客様信仰が根強い。「お客様は神様」という言葉が証拠だ。

これは2つの側面があると考えている。

1つ目はサービスを提供する側が自身のサービスをどうにか向上させようと努力するおもてなし

日本が自負するように、日本のサービス精神は世界的にも飛び抜けてクオリティーが高い。”思いやり”を大切にし、昔ながらの”気配り”をちゃんと受け継いでいると思う。親切すぎて、日本に帰るたびに感動する。もうトイレなんてスゴイことになってるよね。観光客が自動で上がるシートの動画を撮る気持ちが分かる。
また、日本人は真面目で気が効くと評価されるので、海外にいる私自身も恩恵を受けている。

 

これと対をなして生まれてしまったのが、「自分はお客様だ」と思い込んでしまうダークサイド

あぐらを掻いていると言ってもいい。エクストリームな例だと「俺は客だぞ!」と怒り出してしまうクレーマー。店では言わなくてもうちのお父さんよく言ってるんですよね。まあ、こんなに酷くなくとも日本人は、少しでもお金を出していたり、無料であってもサービスを受ける側になると、すぐにお客様ヅラしがちである。

 

***

世間話はさておき、今日の本題。

もう過剰なお客様意識やめませんか?

***

今回この話をするのにはきっかけがあった。

私は今、オーストラリアはメルボルンに住んでいる。海外に出ている日本人は良い意味で変わっている人が多い。折角なら面白い人に出会いたい、そして面白い人同士を繋げたらもっと面白い。そう思って積極的に日本人のコミュニティー作りを行なっている。

先日、あるイベントを企画した。趣味の合う人集まりましょうと、別にお金がかかるわけでもない、気楽なミートアップだ。

集まる前にある程度どんな人なのか分かっておきたかったので、概要欄に「お問い合わせの際は軽く自己紹介をつけてください」と追記した。オープンなイベントでどんな人が来るのか皆目検討がつかなかったし、開催が自宅、ということもあったのでセキュリティー上の理由だった。

で、ほとんどの人は自己紹介をつけてくれるんだけれど、中には「参加したいです!」「まだ入れますか?」と名乗りもせず短くメールを送って来る人も居た。

優しい私はきちんと返すんだけれども、何かモヤモヤする。。

もしかしたら、ちょっとしたミスで自己紹介を忘れたのかもしれない。けれど、なぜ私が気を使って「ぜひ参加していただきたいのですが、僭越ながら自己紹介お願いできますか?」とわざわざ打たなければいけないんだろう?むしろ相手が人間であると想像できるなら、自己紹介なんて私が要求しなくてもつけるよね?とモヤモヤは抑えきれない。

 

これは今回のイベントに限ったことではない。

シェアハウスを運営していたとき、日本人からの問い合わせのほとんどが、「内覧したいんですけれど、まだ空いてますか?」という無骨なものだった。

よく考えたら分かると思うんだけれど、どこの誰とも分からない人を自分の住む家に入れたくないし、住所だって教えたくない。しかも、最初に滞在期間やどんなことをしているのか教えてもらえたら、その時点で無いなと思える人は断ることができる。バカみたいに全員に家を見せてたら自分の時間がなくなってしまう。
そもそも内覧ってただ家を見せるだけじゃない。約束したらその時間家に居ないといけない。来る方は気楽だけれど見せる側は大変。その上、待ってたのにドタキャンなんてこともありうる。

そういうことまで分かっているからか、日本人以外からの問い合わせにはすごくナイスなものが多い。むしろ、もうこの文面だけであなたに決めたいわと思わせるぐらい書いてくれる。

 

仕事もそう。

以前、セカンドビザも取れて高時給、英語環境という仕事の代理投稿をしたことがある。ボスが私の働きを賞賛して、私の後釜にはぜひ日本人が欲しいとのことだった。働く日本人にもおいしい仕事だし、良かれと思って日本語の掲示板にアップした。シェアハウスの件でうんざりしていたので、自己紹介するよう、一応念を押しておいた。

案の定問い合わせが爆発した。見きれないくらいの数が押し寄せた。ところが大多数がが自己紹介を書いてこなかった。名乗りさえしない人もたくさんいた。履歴書だけ送りつけて来る人も。もちろん、詳細の分からない人なんて紹介できないし、頼んだこともできないのだから論外である。

中には、「英語全く話せないんですけど、大丈夫ですか?」とバカ丸出しの質問をして来る人も。仕事なんて、自分をアピールしないともらえないよ、と。まあこれは別記事で話すとしよう。

とりあえず、選ばれたいなら、言われたことは守ること、パソコンの向こうにいる人に敬意を払うこと。これは最低限だと思ってた。


けれど、同じ考えをしている人ばかりではない。だから、こんなにモヤモヤするわけで、じゃあ何でみんな自己紹介が書けないのか考えてみた。

***

理由は2つ。

  1. 自分はお客様だと思っているから
  2. 海外だから堅苦しいのはいらないでしょ?と海外を履き違えているから

仕事の応募の件については2つ目の理由が原因であるとは思うが、また話がややこしくなるので別の機会に譲る。

今回は1.自分はお客様だと思っているからにフォーカスしよう。

***

上で述べたように、日本人はお客様信仰が強い
これには、「おもてなし」を筆頭にした良い側面もあれば、「俺は客だぞ!」と利用する側が踏ん反り返ってしまう悪い面がある。

ここは日本の外。もちろん、日本のおもてなし精神を海外で披露するのは、相手に嫌がられない限り問題ない。けれど、自分はお客様だと思い込んで相手をリスペクトしないのは飛んだ勘違いである。

日本では、サービスをする側とお客様、立場に優劣が付きがちだが、ここでは大前提として立場は対等なもの
お客様になりたいんだったらそれなりのものを払わなければならない。サービスする側も利益が欲しいならもっと良いものを差し出さなければならない。チップの制度などは顕著なもので、良いチップが欲しければより良いサービスを提供するし、お客側も自分のお客レベルによってチップの額を決めることができる。いい意味でフェアな関係だ。

この前提を知らずになんでもかんでもお客顔するのはよくない。

 

 

人として最低のリスペクトを持てない人はどこに行っても苦労する。そして、例え自分がディスリスペクトを振りかざしていると無自覚であっても、相手に失礼な奴だと印象を与えてしまったらそれまでなのである。

それにチャンスを逃すことになるだろう。これは上の自己紹介できない話とがっちりリンクするが、お客さんと勘違いして失礼なことしていると、仕事はもらえないし、良いシェアハウスも回ってこない。引いては、そこで出会えただろう素晴らしいチャンスを逃してしまうわけだ。これは明確な事実。

 

今回私は自己紹介くらいしてくれるよね?と期待して、それが現実と違ったからモヤモヤした。

これと同じように、海外で自分をお客様だと勘違いしていると、この期待と現実のギャップにモヤモヤし続けることになるだろう。

 

p.s.自己紹介については私がモヤモヤしただけで、実際にはそんな無礼な奴は跳ね除けて気にしない人も多いと思う。私もこの記事を公開した後はそういうスタイルでいこうと思う。

 

 

*タイトルにある”日本人”は私が今まで出会った極一部の失礼な日本人に向けての”日本人”です。それ以上もそれ以下も意味はありません。

*全体の話は、「日本人はこうだ。オーストラリア人はこうだ。」と決めつけている話ではありません。それぞれという前提があっての話です。

*自己紹介はあくまで自分が”どんな人”かという話です。個人情報を乗せる必要はありません。

[返答率100%] 私の英語の履歴書の書き方

こんにちは。takumiko( )です。

海外で仕事を探している方の多くが疎かにしているのが履歴書(レジュメ、CV)

仕事が見つからないのは自分の英語力/経験が足りないから、運が悪いからだって思っていませんか?

オーストラリアではオーストラリア人も職に困るぐらい、良い仕事を見つけるのが大変です。英語がネイティブで経験があってもなかなか選ばれないというのが現状。そんな中で、英語も拙い、海外での仕事経験のない/浅い、私たち外国人労働者が仕事を見つけるには、自分の長所をしっかりとアピールしてなんとか採用者の目に止まるしかありません。

仕事探しにおいて、自分をアピールできるフェーズはいくつかありますが、今回は自分の良さを正しく見せれる履歴書の書き方とTIPSをみなさんとシェアします。

 

オーストラリアでは、送ったからといって、きっちり内容を見てもらえたり、返答をもらえたりすることは当たり前ではありません。私も以前は履歴書を送っても配り歩いても返答がないことが多かったですが、この履歴書にしてからは返答率100%。選ばれるかどうかはその後の自分にかかっていますが、きちんと目を通してもらえていることは確かです。

では早速、オススメの書き方を紹介していきましょう!今回は私自身が使っていた宿泊施設のレセプショニストに応募する用のものを例に使います。

*ここに載せている履歴書の書き方はワーキングホリデー利用者や留学生がアルバイトを探す用のものです。フォーマルな仕事探しには向いていないのでご注意ください。

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 ---こちらの記事はワーホリブログ『カンガルーデイズ』にお引越ししました---